Note to self

思ったこととか、考えたこととか。

ネイルと、香水と。

女がネイルをする理由。

 

かわいくて、きれいで、おしゃれ。

自分のそれを見ているだけでテンションが上がる。

 

指先から足先まで'女'として手を抜いていない証。

 

 

ー私の場合は、恋をしているとき。

 

 

ハンドネイルやフットネイルはジェルネイルを施すにしても、手間や時間、お金がかかる。

セルフでのネイルでは、コストは抑えられるが技術がいる。

 

はみ出したり、ムラになったり、乾かすための時間もかかる。

それでも、塗ろうとするのは、やっぱり好きな人に見てほしいからだ。

 

 

ネイルをしているとき、完成したときよりも、その過程の時間が好きだ。

 

彼はネイルを変えたことに気づくだろうか、この色は派手すぎるだろうか、女として意識してくれるだろうか、とか。

 

 

わたしにとって、今でもネイルは自分のためにするものではない。

 

だから、その行為にすごく意味があると感じる。

 

 

 

そして、香水。

 

 

 

gloveのperfume of loveという曲が昔から好きだ。

 

香水の数だけ、恋をした。

 

最初に買った香水は、ヴェルサーチだった。

 

フェラガモ、イヴ・サンローラン、ジバンシイ、ジミーチュウ、クリーン、シャネル、クリスチャン・ディオール

 

 

香水はいくらでもあるけれど、どれが今の自分に似合っているのか、彼はどんな香りが好きか、いい香りだと褒めてくれるか。

 

香水をつけるときも、やはり思い浮かべるのは好きな人だ。

 

新しく香水を欲しくなるときは、決まって新しい恋をしたときだ。

 

 

 

今度はどんな香水を買うんだろう。

 

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The one of Friday's night

金曜の朝、チェスターが亡くなった。

 

金曜日ーー

忙しなくすぎる一週間の終わり。

 

金曜日に会う人は大好きな人だ。

仕事の疲れ、ストレス、焦燥。

素敵な、週末のご褒美。

 

金曜日に電話をしたくなる人もまた大好きな人なんだろう。

 

別れてから一切連絡は取らなかった。

取るべき理由も見当たらなかった。

 

この1ヶ月弱のあいだに、電話をかけそうになったことはあった。

 

また、LINEを開いては、閉じ、文字を打っては消した。テキストを書いても、送信ボタンは押せなかった。いや、押さなかった。

 

 

 

言葉では、伝えたいことの三割でさえきっと伝えられない、いまのわたしでは。

 

LINEを送るのは、本当は声が聞きたいからだ。

声が聞きたいのは、会いたいからだ。

 

 

LINEを何百通やりとりしても、電話で何時間喋っても、たった5分の'会う'という行為には、きっと勝てない。

 

バーバルコミュニケーションはノンバーバルコミュニケーションには、勝てない。

 

 

 

 

 

ふとした用事ができて、LINEを送った。

なるべく簡潔に、なるべく配慮して。

 

 

すぐ返信が来たことへの安堵よりも、わたしは彼が好きなんだということを身をもって知った。彼のさりげない優しさと気づかいと相手への思いやりにわたしは心底惚れていたんだと。

 

 

優しいひとはいくらでもいるけど、気づかいができるひとは少ない。その中で相手へ配慮した言動をとれる人はもっといない。

 

 

友人や恋人、夫婦はお互いに鏡だと、人は言う。

 

彼に、わたしをもっと思いやってほしかった。

でも、もしかしたら彼もそう思っていたのかもしれない。

 

実際、ほんとうのことなんて、だれにもわからない。人へ話すときには主観となり、客観性は失われてしまうから。

 

 

いつも、大切なものは失ってから気づく。

 

失ってからでは遅いから、最初から絶対に手を離してはいけないと神さまが教えてくれたらいいのに。

 

 

でも失って離れたからこそわかることもきっとある。

 

 

さよならは、まだ言えない。

 

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初夏、残像

わたしの友人は身体に無数のタトゥーを入れている。

 

15歳、はじめて友人と行ったライブハウス。

17歳、はじめて入った真夜中の地下のクラブ。

 

当時ロックを好んで聴いていた。

HIP HOPのB-BOY達よりも、ロック界隈の人たちは見た目が怖かった。

 

首元から足首まで全身に入ったタトゥー。

緑や赤の奇抜なヘアカラーとスタイル。

眉や鼻、口元に開けられたピアス。

大きなフードのパーカーに、足元はハイソックスとスニーカーのオールドスクールなファッション。

 

田舎暮らしのわたしには、目に映る、そのなにもかもが新鮮だった。

 

 

 

強烈な色彩。

 

 

 

ライブハウスとクラブ通いをしていた2007年の高3の冬、2月。

祖父が亡くなった。

 

 

10年経った。

 

 

そのときも'いま'も変わらない思い。

タトゥーをずっと、ずっと入れたいのだ。

チェーンのついた十字架を。左足の足首に。

 

 

タトゥーを入れることは一種の呪いだ。

まず痛みを伴う。

そして、消すことができない。

消しても、元どおりの皮膚の色にはならない。

 

 

そして、社会の偏見。

ここが一番大きい。

 

 

 

まともな会社は認めないだろう。

まともな男性は敬遠するだろう。

 

生きていくためには、仕事も、男も、必要だ。

 

だからずっと、わたしはタトゥーを入れられない。

 

 

 

 

忙しなくすぎる毎日で、たまに忘れてしまう。

祖父の存在、祖父から与えられたもの、愛された思い出、果たせなかった約束。

 

 

でも、自分の身体は毎日必ず見る。

タトゥーを入れれば、きっと思い出す。

 

毎日を、1日をたいせつに、生きていける気がする。

 

 

鮮明だった記憶は、いつしか、曖昧となり、思い出すこともなくなり消えるのだろう。

 

17歳、モノクロ、青春、喧騒、死。

 

あなたの顔も、いつしか、ぼんやりとあやふやになり、残像みたいに、はっきりとは思い出せなくなるのだろう。

 

27歳、カラフル、黄昏、静寂、生。

 

 

左は、心臓のある方。

足がなければ歩むことはできない。

'もの'と'もの'を繋ぎとめる、鎖。

そして、背負う十字架。

 

夏の日、残像。

 

 

 

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The east side of Tokyo

東京、日本の中心。

東京、日本の人口の約1割、約1300万人が暮らしている。

 

 

東京は、大きく東側と西側に分けられる。

上京して早5年。

わたしはずっと東側に住んでいる。

 

これといって、こだわりがあったわけではなく、病院の都合上そうだった。

 

4年2ヶ月勤めた職場を今月辞める。

そして、次の職場と家はまたこの東側である。

 

 

どうやら、わたしは東側が好きらしい。

というか、下町が好きみたいだ。

肌になじむ。居心地が良い。

 

 

わたしが好きな街。

蔵前、門前仲町日本橋

丸の内、大手町、日比谷、新橋、そして銀座。

 

 

わたしがすきでもあり、きらいでもある駅。

東京駅。

 

 

ー東京駅。

すべての始まりであり、すべての終わりである。

 

 

彼と最後に会ったのも東京駅だった。

彼を最後に抱擁したのも東京駅だった。

 

 

彼を、信じている。

 

 

恋人だからと、盲目ではなく、彼を信じている。

彼の決断した答えを、信じている。

 

 

それ以外に道がないこともわかっている。

どうしようもないのだ。どうにかできるなら、もう既にどうにかしていただろうから。

 

 

だから、わたしはわたしの道を歩むしかない。

 

 

期限は6月末。

それまで、わたしはできることをやるのみ。

 

 

7月を迎えたときには、きっとすべてを受け入れられているだろう。

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ソーシャル・ネットワーク

わたしは、自他共に認めるミーハーである。

ミーハーなわたしのSNS歴を遡ってみようと思う。

 

今までやってきたSNS

mixi

My space

Facebook

Instagram

Pinterest 

・tumbler

SoundCloud 

Skype 

・Line

・Kakao Talk

・Snapchat 

・filmarks

 

そして、Twitterである。

 

現在、アクティブに利用しているのはInstagram。もっぱらストーリー。

 

 

SNSは賢く使えば、ほんとうにおもしろい。

ほんとうに、いろんな人とつながることができる。

 

 

一時、'SNS疲れ'という言葉が流行った。

最近はあまり聞かない。

 

 

いまの十代は、SNSをかなり、使いこなしている。

思春期の彼女や彼らの日常には、LINEを筆頭にTwitterInstagramなどのSNSが当たり前のように存在している。

 

 

グループ。

ハッシュタグ

タグ付け。

 

LINEのグループ内ではさらに細かなグループの形成がある。

Twitterではメインアカウント、趣味のサブアカウント、そして誰にも教えていない、教えない、教えられない非公開アカウントの存在。

Instagramでのおしゃれな写真、友人のタグ付け、位置情報の添付、ストーリーの更新は必須だ。

 

 

行った場所、食べたもの、旅行、趣味、学校、日々の出来事。

エフェクトで加工した写真。

テキストにはなにを書こうか。

ハッシュタグはなにをつけるか。

いいね、リツイート、リポスト。

 

情報の共有、そして、拡散。

 

 

SNSをやっていない人には、なにがなんだかわからない。話にすらついていけない。

 

 

いいねの数、コメント数、フォロワー数。

多ければ多いほどインフルエンサーだと言われる世界。

 

 

 

SNSで承認欲求は満たされるのか。

 

 

 

答えはノーだ。

 

 

わたしがSNSをやっていて思うこと。

 

SNSは'目的'ではなく、あくまで'手段'だ。

ツール、道具である。

 

友人、知人の近況、普段の日常生活、趣味、仕事の状況など、'その人'にフォーカスを当てたサービスだ。

 

十代の彼女や彼らはそれをきちんと認識し、かなり積極的に活用している。素晴らしいことだと思う。

 

そして、SNSに慣れてない我々大人たちは、物事の本質を掴みきれず、'SNS疲れ'を起こす。

 

 

ソーシャルネットワークサービス。

 

 

良いところも、悪いところも勿論ある。

が、わたしは大好きである。

これからもどんどん新たなソーシャルネットワークサービスが生まれてほしいと思う。

 

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消費する街

上京して5年。

 

未だに馴染めないもの。

通勤時間の満員電車。

休日昼間の原宿、渋谷ハチ公前。

星が見えない明るい夜空。

排気ガスのにおい。

 

 

好きになったもの。

自転車や徒歩での通勤。

平日午前の伊勢丹新宿、銀座三越

きらきらと輝くネオンの夜景。

東京タワー。

 

 

消費する街、東京。

消耗される、自分。

 

 

お金があれば手に入るもの。

ヒト、モノ、サービス。

 

お金があっても手に入らないもの。

ココロ、時間、温もり、故郷。

 

 

生産する街、東京。

蓄積される、自分。

生じるタイムラグ。

 

 

埋める、必死に。

 

 

息ができないほど苦しいときがある。

小さなことで折れるこころ。

でも、ほんのささいなことで喜びを得るときがある。

 

 

くりかえす、絶望と希望。

 

 

東京を去る人、残る人。

どちらの気持ちもよくわかる。

 

あと少しだけ、ここで頑張ってみようと思う。

 

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あなたには、あなたの人生がある。

わたしには、わたしの人生がある。

 

 

いままで別々の道をお互い歩んできた。

二つの道がふと偶然、重なり、あなたと出会えた。

 

 

過去のあなたの道をわたしは、知らない。

あなたも過去のわたしの道を、知らない。

 

あなたといっしょにこれから同じ道を歩んでいきたいと思った。

 

でも、どちらかの道を一緒に歩むことはできない。

 

 

あなたにはあなたの道がある。

わたしにはわたしの道がある。

 

 

道は違えど、せめて、同じ方向を目指していけたらいい。

道は違えど、せめて、互いの歩幅で歩んでいけたらいい。

道は違えど、せめて、目指す到着地点が同じであればいい。

 

迷い、苦しみ、泣き、笑い、つまづき、転び。

起き上がり、引きずり、それでも。

それでも。

隣にいるのはあなたであってほしい。

 

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