The one of Friday's night
金曜の朝、チェスターが亡くなった。
金曜日ーー
忙しなくすぎる一週間の終わり。
金曜日に会う人は大好きな人だ。
仕事の疲れ、ストレス、焦燥。
素敵な、週末のご褒美。
金曜日に電話をしたくなる人もまた大好きな人なんだろう。
別れてから一切連絡は取らなかった。
取るべき理由も見当たらなかった。
この1ヶ月弱のあいだに、電話をかけそうになったことはあった。
また、LINEを開いては、閉じ、文字を打っては消した。テキストを書いても、送信ボタンは押せなかった。いや、押さなかった。
言葉では、伝えたいことの三割でさえきっと伝えられない、いまのわたしでは。
LINEを送るのは、本当は声が聞きたいからだ。
声が聞きたいのは、会いたいからだ。
LINEを何百通やりとりしても、電話で何時間喋っても、たった5分の'会う'という行為には、きっと勝てない。
バーバルコミュニケーションはノンバーバルコミュニケーションには、勝てない。
ふとした用事ができて、LINEを送った。
なるべく簡潔に、なるべく配慮して。
すぐ返信が来たことへの安堵よりも、わたしは彼が好きなんだということを身をもって知った。彼のさりげない優しさと気づかいと相手への思いやりにわたしは心底惚れていたんだと。
優しいひとはいくらでもいるけど、気づかいができるひとは少ない。その中で相手へ配慮した言動をとれる人はもっといない。
友人や恋人、夫婦はお互いに鏡だと、人は言う。
彼に、わたしをもっと思いやってほしかった。
でも、もしかしたら彼もそう思っていたのかもしれない。
実際、ほんとうのことなんて、だれにもわからない。人へ話すときには主観となり、客観性は失われてしまうから。
いつも、大切なものは失ってから気づく。
失ってからでは遅いから、最初から絶対に手を離してはいけないと神さまが教えてくれたらいいのに。
でも失って離れたからこそわかることもきっとある。
さよならは、まだ言えない。