取捨選択
'知性'とは、物ごとを知り、考えたり判断したりする能力だ。
ただ、物を知っているだけでは、それは'知性がある'ということではないと最近よく思う。
私たちは、常に取捨選択をしながら生きている。
まず、それは朝、起きるところから始まる。
朝起きるか、起きないか。
仕事に行くか、行かないか。
ごはんを食べるか、食べないか。
化粧をするか、しないか。
この服を着るか、着ないか。
常に、選択をしながら生きている。
それは常に、どちらか、あるいはどれかの選択をしないということでもある。
ずっとなにかを選びつづけるということは、それは、他のなにかを捨てつづけるということだ。
そして、人生は'選ぶ'ことよりも、'選ばない'と選択をすることのほうがずっと多いのだ。
選ぶのは偶然、選ばないのは必然。
'選んだ'ことよりも'選ばなかった'、そのわけが知りたい。
ありふれた'好き'な理由よりも'嫌い'な理由を聞いたほうが、あなたの人となりがよくわかる。
選ぶことは、捨てるということだ。
捨てることは、選ぶということだ。
人生は、なにかを選ばないことのほうがうんと多い。
ものを、知っているだけではだめだ。
なにかを知りたいときには、Googleで検索すればいい。あなたよりもすごい情報量だ。
でも、わたしが本当に、ほんとうに知りたいことはこれっぽっちも書いていないのだ。どこにも書いてくれてはいないのだ。
”問題、アンサー、心配事も、ぜんぶ、検索でこたえて。いますぐ知りたいの。いますぐ知りたい情報。
国際問題、明日のごはんも、ぜんぶ、検索でこたえて。世界じゅう、おしえて検索。”
考察し、判断する能力。
その、知性がほしい。