執着
彼を好きになってから、自分自身が変わったことがいくつかある。その一つに'執着'がある。
執着とは、'特定の人や物に対して強く惹かれ、深く思い込んでどうしても忘れ切れないこと'、らしい。
わたしは、彼に執着している。
大切なもの、譲れないもの、どうしても手放したくないもの。かつてそれらの対象はわたしにとって、レコード、CD、ターンテーブル、服、靴だった。
そのどれもが何年もかけて集めたものだった。特に、DJ機材は十代の学生のわたしにとってとても高額だったが、すべて自分のお金で買ったものだった。今後どれほど貧乏になってもターンテーブルだけは売らないと決めていた。
今年の春、ターンテーブルを含むDJ機材、レコード、CDをすべて売却した。たぶん何十万円も注ぎ込んだそれらの価値は十万円ほどだった。
大切なものを手放して思ったのは、「すっきりした。」だった。意外だった。手元からなくなれば、後悔すると思っていたからだった。と、同時に「もっと早くに手放しておけばよかった。」とも思った。
執着は、怖い。
もう聴かなくなってしまった500枚ものレコード。触られることなく部屋に静かに眠る機材。積み重なるCDの山。
それらを見てはたまに懐かしく思い、思い出に浸っていた。わたしの過去やルーツがそこにある気がしたから。それ以外の感情が湧き上がることもなく、ただ、ただ、それらはそこに'ある'だけだった。今までに注ぎ込んできた金額を考えて、捨てるのはもったいないと、そう考えていた。
思い出に浸るための、自己満足だけの懐かしさや過去ほど、要らないものはないと思った。
自分で集めたそれらは、たしかに、大切なものだった。宝物だった。これからどんなことがあっても絶対に手放すことはないと思っていた。
わたしは、それらに、確実に執着していたと思う。
執着は怖い。
わたしが生きているのは今なのに、この一瞬のはずなのに、過去に囚われていたんだと気づいた。
大好きだった音楽は、いつしか、聴かなくなってしまった。まじめに練習を繰り返して使用していた機材は、いつしか、ただの置き物になってしまった。そこに存在するのは'虚無'だけだった。
人は、変わる。
人間関係、環境、学校、仕事、趣味。
考え方や生き方も、変わる。
大好きだったものは大好きではなくなってしまった。大きらいだったものは大きらいではなくなってしまった。
物なら、まだいい。
手放してもまた買える。
買えないとしても代わりのものがある。
人は、どうか。
その人の代わりになる人がいるのか。
35億、男性はいるけど、でも、きっと彼の代わりはいない。彼に代わる、他の'誰か'なら、きっといる。
彼に執着している。どうしようもない。
でも、この執着もいつかはきっと無くなるんだろうとも思う。わたしがレコードやターンテーブルを手放したように。
大切なことは、いつも目には見えなかった。
でも、目に見えないと不安だから、目に見える形として残しておきたかった。手元に置いておきたかっただけだった。
きっとわたしの元にいても聴かれることのないレコード、使われることのない機材、開けられることのないCD。大切だったはずなのに、大切にできなかった。
わたしの手元を離れてよかった。わたしは、これでやっとそれらを大切にできる。どこかの誰かのところで役目を果たしてほしいと思う。