八月
花火を見ると思い出す情景がある。
一年前だった。
その日はちょうど隅田川の花火大会の日で、病院の窓から綺麗に見えるそれを、夜、入院している患者さんたちと見ようという話をしていた。
その日夜勤のわたしが受け持ったのはナースステーションから一番近い個室に入院していた、綺麗な女性の患者さんだった。
夜の七時ごろ。
彼女は痰がのどに詰まり、呼吸状態が一気に悪くなってしまい、わたしは先生を呼び、部屋で、喉と気管支の内腔を観察できるカメラを使いながら彼女の喉に詰まったそれを取る介助をしていた。
局所だけの麻酔なのでかなり苦しいだろう。苦痛で顔は歪み、涙が頬を伝う。
それでも動いてはいけないから、彼女の涙や汗を拭き、手を握り、励ます。
部屋には彼女の呼吸状態を知らせるモニターの音がただ、鳴っていた。
遠くから、花火を打ち上げる音が聞こえる。
ふと目の片隅に、部屋の窓から打ち上げられた花火の片鱗が見える。
一瞬で消える、鮮やかな赤、ピンク、きいろ、あお、みどり。
アラームが鳴り、一気に現実へと引き戻される。
部屋に漂う、かすかな、でも着実に近づく死への匂い。
部屋から見える花火はただ綺麗で、切なかった。
死にゆく人よ、なにを想う。
貴女が流した涙はどこへゆく。
ここから見える、この景色が、今のわたしの居場所なんだ。
そんなことを思った。
もう季節は八月になろうとしていた。