Note to self

思ったこととか、考えたこととか。

アイデンティティー

ときどき、自分がきらいになる。

 

'自分'ってなんだ。

'自己'とはなんだろう。

 

くり返される、

「自己PRをお願いします。」

「ご自身はどういう性格だと思われますか。」

「あなたの長所と短所をおしえてください。」

 

くり返すテンプレートな答え。

ありきたりな、当たり障りのないアンサー。

 

'アイデンティティー'。

個性。同一性。自己。自我。

'自分である'という認識。

 

 

自分ってなんだ。

個性ってなんだ。

 

 

アイデンティティーの確立は、他人と関わることでしか生まれないと思う。しかも、一人の他人だけではだめだ。数多くの人とコミュニケーションをとらなければならない。

 

わたしはわたしがわからない。

自分ひとりではわからない。

他人と話すことで、やっと自分を認識できる。

 

と、同時にあなたが思ったとおりの私でありたいと思う。そして、あなたが思ったとおりの私なんてわたしではないとも思う。

 

型にハマりたくない。

あるいは、型にハマっていたい。

 

どちらも、わたしだ。

どちらもわたしのアイデンティティーだ。

 

 

「好きなものはなんですか?」

好きな食べ物は?音楽は?本は?映画は?

わたしはわたしの物差しでしか、それらを計ることができない。判断することができない。そんなものでしか、あなたを知る術を知らない。

 

 

あなたの物差しはどんなだろう。

あなたは一体どんな物差しで、わたしを計っているんだろう。

 

 

大切なものは?人は?

二度と会えない人はいる?

誰にも打ち明けられない悩みは?

死にたいと思ったことは?

ほんとうは、生きていたいと思った瞬間は?

人生で大切なことは?

一番泣いたのはどんなとき?

一番しあわせを感じたのはいつ?

過去に戻りたい?それとも、未来を知りたい?

 

 

 

 

今を、この瞬間を、かけがえのないこの現在を、ともに過ごしたい人はだれ?

その人はどんな人?

 

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プロフェッショナル

わたしは、どちらかというと完璧主義者だったと思う。

 

昔から中途半端なことがきらいだった。

やるならやる、やらないならやらない。

白黒つける。つけない理由がわからない。

 

 

それは、不完全である自分を真っ向から否定していた行為だったと思う。

 

 

人は、矛盾して生きている。

本音と建前。

こころとからだ。

言葉と行動。

すべて一致している人が、まず、いない。

 

わたしもそうだ。

 

 

 

 

理想と現実。

 

完璧主義者は'理想が高すぎる'とよく言われる。

そんなことないよと今までは返していたけど、最近はこう思う。

 

 

理想が高いんじゃない。

ただ、厳しい現実を受け止め切れないんだ、と。

 

 

理想、夢、希望。

高い方がいいに決まってる。

 

現実、うつつ、絶望。

リアルは、このくり返しだ。

 

 

特に、恋愛や仕事。

 

わたしは看護師だ。国家資格を持っている。専門職であり、それはプロフェッショナルであるということだ。

 

 

プロフェッショナルとは何か。

マチュアではない。

素人ではない。

その道のひとであるということ。

 

 

仕事をしていると自分の、ほんとうの実力を試される機会が多々ある。

 

患者の状態が急変したとき、意識を失ったとき、心肺が停止したとき。

家族の気が動転したとき、怒りをぶつけてきたとき、泣き崩れたとき。

医師が焦っているとき、悔やんでいるとき、諦めたとき。

 

すべてが突然で、それは暗く、重く、わたしに乗りかかってくる。

 

 

看護師である前に、人だ。

プロである前に、わたしも人間だ。

 

 

一瞬だけ、手が震える。

一瞬だけ、声が出ない。

一瞬だけ、変な汗が出る。

 

 

そして、そこから急激に脳からアドレナリンが出ていることを体感する。

 

 

練習でできないことが本番でできるはずがない。できたとしても、それはきっと、ほんとうの実力ではない。運がよかった、ただそれだけ。

 

 

プロフェッショナルであり続けるには、完璧主義者ではいられない。

常に100%の力を出してしまうと、なにかあったときにパンクしてしまうからだ。

自分の実力の最大値が100なら、それを普段から人に見せてはいけない。

 

 

人は欲深い。

良いものを知るともっと、もっとと欲しがる。

その中には、物や環境だけでなく人も含まれる。

 

 

普段の仕事は7割でいい。

7割できれば、人は評価してくれる。

あとの3割はなにかが起こったときの余力として残しておかなければならない。

 

 

'完璧にこなさなければならない'という考えを今すぐ捨てるべきだ。

 

 

プロフェッショナルとは、7割の出来の仕事をずっと維持し続けられる人だと思う。そして、イレギュラーなことが起きたときやここぞという場面で、真の実力を発揮できる人がプロだと私は思う。

 

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取捨選択

'知性'とは、物ごとを知り、考えたり判断したりする能力だ。

 

ただ、物を知っているだけでは、それは'知性がある'ということではないと最近よく思う。

 

 

 

 

私たちは、常に取捨選択をしながら生きている。

 

まず、それは朝、起きるところから始まる。

 

朝起きるか、起きないか。

仕事に行くか、行かないか。

ごはんを食べるか、食べないか。

化粧をするか、しないか。

この服を着るか、着ないか。

 

 

常に、選択をしながら生きている。

それは常に、どちらか、あるいはどれかの選択をしないということでもある。

 

ずっとなにかを選びつづけるということは、それは、他のなにかを捨てつづけるということだ。

 

そして、人生は'選ぶ'ことよりも、'選ばない'と選択をすることのほうがずっと多いのだ。

 

 

 

選ぶのは偶然、選ばないのは必然。

 

 

 

'選んだ'ことよりも'選ばなかった'、そのわけが知りたい。

ありふれた'好き'な理由よりも'嫌い'な理由を聞いたほうが、あなたの人となりがよくわかる。

 

 

選ぶことは、捨てるということだ。

捨てることは、選ぶということだ。

 

 

人生は、なにかを選ばないことのほうがうんと多い。

 

 

ものを、知っているだけではだめだ。

なにかを知りたいときには、Googleで検索すればいい。あなたよりもすごい情報量だ。

でも、わたしが本当に、ほんとうに知りたいことはこれっぽっちも書いていないのだ。どこにも書いてくれてはいないのだ。

 

 

 

”問題、アンサー、心配事も、ぜんぶ、検索でこたえて。いますぐ知りたいの。いますぐ知りたい情報。

国際問題、明日のごはんも、ぜんぶ、検索でこたえて。世界じゅう、おしえて検索。”

 

 

考察し、判断する能力。

その、知性がほしい。

 

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狂気

今はもういない、わたしが大好きだった婚活アカウントの'うろんちゃん'の言葉で、なるほどと思った言葉がある。

 

 

「浮気をしたら殺す。」

 

 

また、誰かが言った。

 

 

'相手に死ねと言う人よりも、殺すと言う人のほうがきっと優しい。'と。

 

こうも思う。きっとそんな人は情深い。そして究極のさみしがり屋だ。

 

 

ーーー'愛'とはなにか。

 

聖書の一節にはこう書いてある。

 

愛は寛容であり、愛は情深い。またねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法しない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みを抱かない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

 

 

そして、

 

 

「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも耐えることがない。」と。

 

 

愛とは、相手の全てを'赦す'ことだと思う。

'許す'とは、ちがう。

 

 

理解されなくて哀しい。

理解し合えなくてつらい。

 

 

もう、傷ついてもいいと思った。

うそ、ほんとは傷つきたいなんて思ったこと、一度もなかった。

 

傷ついてぼろぼろになってみたい。

あんな奴、最低だったって言いたい。

そうさせてくれないあなたが、憎い。

そう思ってしまうわたしは、醜い。

 

愛情の反対は、憎悪だ。

そして、恋は狂気だ。

 

狂ってる、きみもあいつも、わたしも。

 

 

 

 

そんなことは、もう、お互い分かりきっている。当たり前で、当然で、今更だ。

 

それでも、分かっていたとしてもわたしたちはくり返す。どうしようもない。わたしたちは、ほかになす術を知らない。

 

 

泣いて解決する問題ならもうとっくに泣いている。それでもどうしようもなくて涙が溢れ出る。あなたがわたしを泣かせる。あなたしかわたしを泣かせられない。

 

 

顔を見るとことばは出なかった。

なにかを言い出す前に、代わりに、唇を塞いだ。

もうなにも聞きたくなかったし、もうなにも言いたくなかった。

 

あなたがいて、わたしがいて、もうほかにはなにも要らなかったから。

 

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執着

彼を好きになってから、自分自身が変わったことがいくつかある。その一つに'執着'がある。

 

執着とは、'特定の人や物に対して強く惹かれ、深く思い込んでどうしても忘れ切れないこと'、らしい。

 

わたしは、彼に執着している。

 

 

大切なもの、譲れないもの、どうしても手放したくないもの。かつてそれらの対象はわたしにとって、レコード、CD、ターンテーブル、服、靴だった。

 

そのどれもが何年もかけて集めたものだった。特に、DJ機材は十代の学生のわたしにとってとても高額だったが、すべて自分のお金で買ったものだった。今後どれほど貧乏になってもターンテーブルだけは売らないと決めていた。

 

 

今年の春、ターンテーブルを含むDJ機材、レコード、CDをすべて売却した。たぶん何十万円も注ぎ込んだそれらの価値は十万円ほどだった。

 

 

大切なものを手放して思ったのは、「すっきりした。」だった。意外だった。手元からなくなれば、後悔すると思っていたからだった。と、同時に「もっと早くに手放しておけばよかった。」とも思った。

 

 

執着は、怖い。

 

 

もう聴かなくなってしまった500枚ものレコード。触られることなく部屋に静かに眠る機材。積み重なるCDの山。

 

それらを見てはたまに懐かしく思い、思い出に浸っていた。わたしの過去やルーツがそこにある気がしたから。それ以外の感情が湧き上がることもなく、ただ、ただ、それらはそこに'ある'だけだった。今までに注ぎ込んできた金額を考えて、捨てるのはもったいないと、そう考えていた。

 

 

 

 

思い出に浸るための、自己満足だけの懐かしさや過去ほど、要らないものはないと思った。

 

 

 

自分で集めたそれらは、たしかに、大切なものだった。宝物だった。これからどんなことがあっても絶対に手放すことはないと思っていた。

 

わたしは、それらに、確実に執着していたと思う。

 

 

 

 

執着は怖い。

 

わたしが生きているのは今なのに、この一瞬のはずなのに、過去に囚われていたんだと気づいた。

 

大好きだった音楽は、いつしか、聴かなくなってしまった。まじめに練習を繰り返して使用していた機材は、いつしか、ただの置き物になってしまった。そこに存在するのは'虚無'だけだった。

 

 

人は、変わる。

人間関係、環境、学校、仕事、趣味。

考え方や生き方も、変わる。

大好きだったものは大好きではなくなってしまった。大きらいだったものは大きらいではなくなってしまった。

 

 

物なら、まだいい。

手放してもまた買える。

買えないとしても代わりのものがある。

 

人は、どうか。

その人の代わりになる人がいるのか。

 

 

35億、男性はいるけど、でも、きっと彼の代わりはいない。彼に代わる、他の'誰か'なら、きっといる。

 

 

彼に執着している。どうしようもない。

でも、この執着もいつかはきっと無くなるんだろうとも思う。わたしがレコードやターンテーブルを手放したように。

 

 

大切なことは、いつも目には見えなかった。

でも、目に見えないと不安だから、目に見える形として残しておきたかった。手元に置いておきたかっただけだった。

 

きっとわたしの元にいても聴かれることのないレコード、使われることのない機材、開けられることのないCD。大切だったはずなのに、大切にできなかった。

 

わたしの手元を離れてよかった。わたしは、これでやっとそれらを大切にできる。どこかの誰かのところで役目を果たしてほしいと思う。

 

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事実

看護師として働く中で、これは真実に近い事実だろうなと思うこと。

 

人は、誰かに、何かを、'やらされている'と思ったときまたはそう感じたときに情熱を失う。

 

 

誰かが言った。

「好きなことを仕事にするとつらい。」と。

 

それはちがうと思う。

 

 

 

好きなことは楽しい。面白い。興味がある。

本来、勉強するということ、'学ぶ'という行為は楽しいことなんだ。

 

 

 

好きなことを仕事にするとつらいのは、その好きなことや楽しいことに制限がかかるからだ。

 

時間を縛られ、使いたいものを使えず、会いたい人には会えず、本当に伝えたいことを伝えられなくなる。

それが仕事だ。

 

 

自分の好きな事柄を、人は、趣味とも言う。

 

 

趣味と仕事の決定的な違いは、自由だと思う。

趣味は自由だ。

仕事は不自由だ。

必ず何かを制限される。

時間、お金、人、物、思考。

 

 

自由がいいとずっと思っていた。

制限されることがきらいだった。

でも、自由だと身動きが取れなかった。

どうしていいかわからなかった。

 

 

不自由の中でしか自由があり得ないということを知った。

不自由の中で、新しいなにかを見つけ出すことができた。

自由の中では、きっと、見つけられなかった。

 

 

これからも、きっと、そうだ。

 

 

人は、社会という制限の中で生きていくしかない。というか、そこでしか生きていけない。

 

道徳、理性、秩序。

当たり前にそこらへんに転がっているもの。

 

背徳、本能、混乱。

わたしたちにとって身近なもの。

 

 

自分の仕事を楽しいとはっきり言える人がきらいだ。羨ましい。わたしにとっていまの仕事はつらかったから。

 

仕事がつらいと素直に言える人が好きだ。その気持ちが痛いほどよく解ったから。

 

悩み苦しむ人の苦悩する姿が好きだ。

だれにも悩みを打ち明けられない人の過去が好きだ。

熱心に取り組む人の真摯さが好きだ。

たまにさぼってしまうだらしのない人の怠慢さが好きだ。

きらいだとはっきり言える人の素直さが好きだ。

好きだと素直に言えない人の愚かさが好きだ。

ほんの些細なことで心が折れてしまう人の弱さが好きだ。

人からなにを言われても信念を貫く人の強さが好きだ。

 

働く中で多くの人をきらいになり、そして、好きになった。

 

 

人に動かされることがきらいなのに、自分がなにかを動かされるきっかけになったのは、いつも、人だった。

 

 

いまも、むかしも、人を動かすのは人だ。

 

 

皮肉だと思う。

悔しいけど、これからもそうであってほしいとも思う。

 

それが真実に近い事実。

 

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桜流し

 

あなたの唇と言葉。
わたしに希望を持たせたり、絶望させたりする。

 

 

会ったところでなにを話すのか、なにを食べ、なにを飲み、なにを思いながらお互い過ごすのか。

 

 

好きだったときはそんなこと気にもしなかった。会うことに目的は要らなかった。


いまは会うための理由をずっと考えてる。

 

 

 

 

物事はとてもシンプルだ。


'会いたいから会う'

 


きっとその言葉に、それ以上もそれ以下の意味もない。深読みする必要もない。本当にそうなんだろう。

 

 

あなたは残酷なのに、わたしはなぜか涙も出ない。

 

 

つらいときにはどうしたらいい。
泣いたらいい。
笑ったらい。
怒ったらいい。
そんな姿でさえ、あなたに見てほしい。
ただ、そんなわたしを見てほしい。

 

 

 

 

泣けない、鳴けない。

 

 

 

 


いまならあなたの手や唇が恋しい。
いまならわたしは憎まれ口を叩かずに、かわいく過ごせる。
いまならあなたが横にいてもわたしはきっとよく眠れる。

 


夜が少しだけやさしい。
朝にはきっと魔法がとけてしまうから。

 

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