東京二十六時
快楽に溺れることはなかったけど、寂しさにはもう幾度となく溺れている。
いっしょに夜を過ごすことよりも、いっしょに朝を迎えることのほうがむずかしいこととか。
大切に思われたぶんだけ、大切に思えたなら。
愛しいと思われたぶんだけ、愛しく思えたなら。
君は核心に触れないように、曖昧な話題をひたすら喋るし、わたしはそれをうんうんと聞いている。どちらも決して触れようとしないこの会話が、ふたりの関係性のすべてを物語っている。
いつからだったっけ。
言葉とこころが矛盾していると気づいたのは。
ねえ、もう、なにも言わないで。
言葉にすればするほど陳腐になるから。
口にした瞬間、魔法はとけてしまうから。
ねえ、もう、わたしになにも言わせないで。
あなたを独り占めにして、永遠にしたくなるから。
こんな夜は甘やかしたいし、甘やかされたい。
いつまでたっても大人にはなりきれなくて、でも、もう、夢見るこどもでもいられないこととか。
目の前の現実から逃れられないことも、受け入れるしかないことも。
こんなわたしを抱きしめてよ。
そんなあなたを抱きしめたいよ。
いいわけ
夏。
海へ行き夏の日差しと生温かい潮風を感じたこと。
冬。
山へ行き星空を見上げたこと。
いつも隣りにいてくれた大切なひと。
つないだ手のぬくもり。
不器用な愛情。
守れなかった約束。
頬をつたう涙。
遠い日々への後悔。
それが、それらが、わたしが引き換えにしたもの。
わたしが、東京にいる理由。
たった一人を見つけるために、ひとりでいること。
目にうつるものは綺麗で、見たいと思うから余計なものは見えなくて、見たくなくて。
言葉はまやかしで、あなたを彩る。
君と歩いた暑い夏の日。
ベランダから見える夕焼け。
昼と夜が混ざりあう、紫と橙。
絡まる心と体。
にじむ汗と夏の匂い。
甘いカクテル。
星の見えない明るい夜空。
きらきらと輝くネオン。
ひとりで迎えた夜明け。
煙草の吸い殻。
この街は、つめたくて、やさしい。
窓の奥、遠くで輝くネオンはきらきらと眩しくて、まばゆすぎて、星さえも見えない、こんな街で、東京で。
八月
花火を見ると思い出す情景がある。
一年前だった。
その日はちょうど隅田川の花火大会の日で、病院の窓から綺麗に見えるそれを、夜、入院している患者さんたちと見ようという話をしていた。
その日夜勤のわたしが受け持ったのはナースステーションから一番近い個室に入院していた、綺麗な女性の患者さんだった。
夜の七時ごろ。
彼女は痰がのどに詰まり、呼吸状態が一気に悪くなってしまい、わたしは先生を呼び、部屋で、喉と気管支の内腔を観察できるカメラを使いながら彼女の喉に詰まったそれを取る介助をしていた。
局所だけの麻酔なのでかなり苦しいだろう。苦痛で顔は歪み、涙が頬を伝う。
それでも動いてはいけないから、彼女の涙や汗を拭き、手を握り、励ます。
部屋には彼女の呼吸状態を知らせるモニターの音がただ、鳴っていた。
遠くから、花火を打ち上げる音が聞こえる。
ふと目の片隅に、部屋の窓から打ち上げられた花火の片鱗が見える。
一瞬で消える、鮮やかな赤、ピンク、きいろ、あお、みどり。
アラームが鳴り、一気に現実へと引き戻される。
部屋に漂う、かすかな、でも着実に近づく死への匂い。
部屋から見える花火はただ綺麗で、切なかった。
死にゆく人よ、なにを想う。
貴女が流した涙はどこへゆく。
ここから見える、この景色が、今のわたしの居場所なんだ。
そんなことを思った。
もう季節は八月になろうとしていた。
Note to self
人はかんたんに死んでしまうから。今度なんて約束しないで。いま、好きだと、愛していると伝えて。'またね'と別れたその日が最期になってしまうこともあるから。
愛してるなんて一度も言われたことなかったけど、十七年間たしかに愛されていたこととか。そんな無償の愛を受けることがもうできないこととか。
十年経った。長かった。短かった。
せめて、生きていてほしかった。あと少しだけ、成長したわたしの姿を見ていてほしかった。あのとき、願いを叶えてあげたかった。
ぜんぶ、ぜんぶ許して、叱って、そして話を聞いて。
たいせつな人を失うことがこんなにもつらいなら、これから死ぬまでこんなことをくり返すなら。
たまに忘れてしまう、いのちは有限だということ。時間は平等だということ。
きっとこのこころのすきまが、寂しさが、孤独が、埋まることはきっとなくて。そんなことはわかっていて、それでも。それでもあなたの顔が、手が、声が恋しい。
もう二度と会えない。
いま周りにいる人を大切にして。そして、自分を大切にして。自信を持って。弱さを受け入れる強さを、好きと言える勇気を、嫌いなものへの寛大さを。真面目に生きて、謙虚であれ。厳しくても、つらくても、正しい方向へ向いて。